『じょわいゆーのえる』


 
 師走の夕刻、昼間の暖かな気候とは裏腹に、冷気が混ざる夕暮れ。
近所の小学生の男の子がにっこり笑って、小さな箱を持って近づいてきた。
「いいでしょう!」という箱の中身は、薪をかたどった、小さなブッシュ・ド・ノエル。
どうやら学校の授業での、クリスマスケーキ作りの成果らしい。
ホワイトチョコでできたメッセージプレートに、たどたどしい文字が泳いでいる。
「じょわいゆーのえる」
友だちの姿を見つけたのか、その男の子は走り去った。

じょわいゆーのえる――。
おそらく「Joyeux noёl」、フランス語でメリークリスマスの意味だろうなと思った。     
子ども心に、目一杯背伸びして書いてみたのだろうと、ふと微笑ましくなった。

彼がその文字を書いているところを想像してみた。
いつもと勝手の違う、ペン型のチョコレートから、1回こっきりのデコレーション。
おそらくは、唇をぎゅっとつぼめ、慎重にゆっくり書いた文字。
幼く拙い文字がよりたどたどしく、描かれるさま。

そんな光景が、たまらなく愛おしく感じた。
そしてふと、平和ってこういう瞬間のことなのだろうなと思った。
言い尽くされた言葉だけれど。
これを積み上げることが平和を持続することであり、それを求める大人の役割なのだろうと。
なにがあっても、守らなければいけないとも。

平和の持続が崩れたあの日から、1000日が過ぎたと報道された。
あの夜、ただただ被災地の事だけを考えた空の色は、私の記憶からすっぽり抜け落ちている。
夜空を見やることは、乱世ではおぼつかないということを知った。
無論、復興はまだ途上、そして今年も天災は続く。
胸を張って平和というには、相当の勇気と無神経さが必要である。

でも――。
若田さんの打ち上げをカウントダウンしたり、ISSの軌道を目で追ったりする瞬間。
アイソン彗星に思いをはせ、明け方の空を見上げる瞬間。
一番星を探し、オリオン座の美しい星並びを見やる瞬間。
そして――、疑似体験としてのプラネタリウムを鑑賞する時間。
そういう一瞬の積み重ねによって、平和は続いている。

とすると、私たちが数ヶ月ごとに行う投影会もまた、平和の積み重ねの一端なのかな?
そう思うと、おこがましいけど、伝道師の真似事をしているような心持ちになった。

「平和なんて口にするな、口にすると逃げていく」といった人がいた。
違う。
大きな声で「平和だよ、少なくとも今この瞬間は」と叫ぶことが、尊いことだと思うから。

「じょわいゆーのえる」というたどたどしい文字が、私のまぶたに焼き付いて離れなかった。
とても貴重なことを教えてくれた文字列が、少し誇らしく見えた。
空には宵の明星がもう輝いていた。



《著:式守》


 (c) 式守/さいたまプラネタリウムクリエイト 2013


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